三条大橋ゴールイン
10月11日 2011
ハレルヤ!10月4日に無事三条大橋まで歩くことができました。中山道を2年間に渡り、日本橋から534キロをを22日間かけて、合わせて60人のひとが41の教会に寄りながら歩きました。沢山の人と出会い,声をかけ、福音を伝え、トラクトを配り,教会で良き交わりを持つことができました。「収穫は多いが働き人が少ない」と言った主の言葉をおぼえ、行く先々で働き人が送られますように祈りました。
中山道は山の中を通り、教会が無い地域が沢山ありました。そのようなところを歩きながら思いました,「次に福音をここに届ける人はいつのことになるだろうか。ラストチャンスかもしれない。主よ、どうぞ一枚一枚の福音トラクトを用いてください。」と祈りながら村を通りました。街道は神社とお寺が並ぶ道でした。私たちの力は弱いが,主の力によって人々が解放されます。これから主がなさってくださることを期待しています。
(ベネディクト)
東海道は海沿い、中山道はまさに山の中。猿、いのしし、蛇に遭遇した。東海道は明るい、中山道はうすぐらい。東海道には多くの教会がある、中山道は少ない。このような中山道沿いにも主から使命を受けて、黙々と伝道に励んでおられる教会が点在していた。このことに大きな励ましを受けた。特に若い世代の牧師たちが横のつながりをもって伝道にあたっている。将来が楽しみ。
今回のウォークに小6、中1の児童が参加された。また82歳の高齢者も。楽しい会話と笑い、涙の祈りをもって歩いた。車でスーッと通るだけでは気がつかないことが、歩いてみると分かる。沿道で会う人々に声をかけた。時には数分立ち止って話をした。
教団・教派の違う教会に立ち寄らせていただいた。どこに行っても主の家族だということを感じた。初めてお目にかかる人々なのに、旧知の同信の友のように心を合わせて賛美し祈り合った。
全国の皆さん、このための祈りとご支援を心から感謝申し上げます。
(姫井)
参加者の声
教会からの手紙
可児福音教会 細江和弥
主のみ名をあがめます。
中山道を制覇されました事、本当に感服いたします。主は、確かに日本の人々を顧みてくださっている事を、この運動を通して感じさせていただきました。これを担当された皆さまは、まさに精兵でいらっしゃいました。中山道に位置する者、教会として、皆様の祈りを無駄にすることのないように励んでまいりたいと存じます。先生方の行脚は、何か荒野を行くモーセやヨシュアのように見えました。本当に力強い霊を運んでおられると感じました。いよいよこの年も押し迫ってきましたが、皆様によって御嵩、可児を巡っていただいた事を心に留めて、クリスマスの祝福に代えて行きたいと思います。今年のテーマは「新しい土地を獲得する」という事でしたので、行き巡ってくださった地の獲得を祈り、働いていきたいと思います。先生をはじめ労してくださった先生や兄弟の皆さまの上に主の慰めと平安と祝福があるように、心からお祈り申し上げます。
Walk with Jesusに参加して
小畑 望
証し
庄野明洋
今回は私は前日の武佐宿より参加したかつたのですが、最終日の草津よりの参加になりました。昨年は軽井沢より和田宿まで参加し、ほとんど伴走車を運転しました。今年は日ごろ時々ハイキングなどしてるものの、きついかと思いましたが、無事に草津より三条大橋まで皆さん共に歩けました。昨年は運転は気をつかつたのですが、楽?をしましたが、軽井沢宿から和田宿に歩かれた方のたいへんさが、少しわかりました。完歩は数名の方だそうですがすごいです。昨年の信州も山間で教会が少ない中にも多くの地域教会に訪問させて頂き、励んでる様子が、わかりましたが、今回の最終日でも昼ごろ知つてる教会もありましたが、各教会で祈りとミニ集会をし、途中は部分参加の先生方や信徒の方とも最終日はゴールに向けて歩けて感謝でした。途中で随時に配られたトラクトも主イエス様にあつて用いられること祈りです。昨年お会いした方もおられますが、今年も新しい方と共に歩けましたことは感謝です。2009年のプロテスタント宣教150周年の東海道。2010・11年の中山道と歩いて伝道の働きがありましたが、この福音伝道の火がさらに広がり継続されて行きますように主イエス様にあつてお祈りいたします。
ウォーク・ウィズ・ジーザス中山道を行く
杉本常雄(日本基督教団牧師)
ウォーク・ウィズ・ジーザス(WWJ)中山道(主催:総動員伝道)が実施されました。昨年は東京日本橋から長野の贄川まで、今年は贄川から京都の三条大橋まで歩きました。
中山道は峠超えの連続です。風雨に打たれ足元滑らしながら、かつて宣教師が歩いたその同じ道を進んで行きました。約150年前、開国したとはいえ未だ各地に切支丹禁制の高札が立てられている中、彼らは命がけで福音を宣べ伝えました。日本に福音を、日本人に救いの喜びをとの志でした。そんな彼らのスピリットに倣い、中学生から82歳の高齢者まで、牧師も信徒も、男も女も、信仰者も求道者も、それこそあらゆる世代の人たちが集まりました。所属する教派・教団は違っても、同じ主を信じる信仰によって一つとされている人々の豊かな働きの輪でした。
諸教会に立ち寄り、また宿泊させていただき、それぞれの教会のビジョンを学び、互いに祈りあう恵みの時間が与えられ感謝します。またわたしたちの働きのためにも祈っていただきました。互いはキリストのからだにつながる兄弟姉妹であることを教えられました。
出会う人々に声を掛け、トラクトを手渡しました。受け取った人々が聖書に関心を寄せ、教会を訪ね、イエス様を信じてくださることを願いました。また家々にトラクトを配布し、その家に住む人々の祝福を覚えて祈りました。
人気の無い道の連続でした。どれほど多くの廃屋の前に立ったことでしょう。かつてここに人の営みがあったことを思い、寂しさを覚えたものです。僅かに感じる人の気配に、トラクトを郵便受けに入れたそのとき、聖書の使徒の歩み8章に記されたフィリポとエチオピアの高官との出会いを思い起こします。フィリポに示された使命は「寂しい道」へ行くことでした。そんな所へ行くことに何の意味があるのか、フィリポならずともそう思えてなりません。しかし主はそこに、エジプトの高官という求める人を備えておられたのです。山道を歩き峠超えの続くWWJ中山道は、まさしく寂しい道へと向かう働きでした。こんな場所では福音を伝えられない、こんな人は到底救いを受け入れないなどと、わたしたちの側で決めつける必要はありません。また手渡してもすぐに破り捨てられたりして、無駄に思える働きに見えるかもしれません。しかし人間には無駄と思えても、そこに聖霊は働いてくださり、神のみわざが進められていきます。
また寂しい道とは、人がいない場所だけのことではありません。現代にも多くの寂しい道があります。たとえ人が多くいようとも、生ける主を知らず、救いの喜びを知らずに滅びへと落ちていく多くの魂が行きかう大都会もまた、寂しい道なのです。伝道の働きが急務です。働き人が必要です。
いずれの場所であれ、働きの成果はすぐには出ないかも知れません。その意味ではわたしたちはいつも寂しい道を行く者です。しかし神はそこで素晴らしいものを用意しておられます。そのことを信じる者は、見えるところでどれほど望みがなくても諦めず、神に期待して働きを続けます。福音の種が宿ると思えないようなところに、主は素晴らしいものを用意しておられます。信じて従って行くとき、次第に見えてきて、ついには主を賛美せずにはおれなくなるほど麗しいことが、わたしたちの前に現実となります。
10月4日、三条大橋に無事到着。WWJ中山道は終わりました。しかし伝道の働きは続きます。「中山道歩いて伝道」だけがウォーク・ウィズ・ジーザスなのではありません。今日もどこかで総動員伝道の人たちが、町々村々をまわって各戸にトラクトを配布していることでしょう。またWWJの働きに賛同した人々の手によって、伝道の働きは続けられていることでしょう。そうした一つ一つの働きが、まさしくウォーク・ウィズ・ジーザスなのです。
一週目レポート
9月12日 2011
日本宣教150周年(2009年)を記念して始めた Walk with Jesus。東海道53次を歩き、教会に立ち寄って賛美と祈りの時をもった。また途中で出会う人々や家々にトラクト配布をした。これで終わらずに「中山道を」ということになり、昨年は東京・日本橋から贄川まで251キロを歩いた。今年は贄川から京都・三条大橋まで歩く予定。今回は贄川から御嵩まで126キロを歩いた。山また山、峠をいくつも越えての歩行は大変。教会はとても少ない。その中でも4つの教会に立ち寄ることが出来た。
9月26日からは後半歩行になる。これからは滋賀県、京都府に入っていくので、平坦な道になり、教会も多い。
(姫井)
私はこの一週間、伴走車のドライバーだったのでそれほど歩くチャンスはありませんでした。しかし,ここにも神様が思いがけない恵みを準備していました。車で少し先に行って,皆を待っている間に個人伝道する時間が与えられたのです。町の人,畑で働いているお百姓さん、通りかかっている人など、沢山の人とゆっくり話す時が与えられ、トラクトを渡し、イエス様の愛を伝えることができました。教会の無い町で出会ったある70歳の婦人と話したところ、自分の中学生の先生がクリスチャンであったと言いました。半世紀も前に福音の種が蒔かれていました。実ることを祈っています。また,昔の伝道の苦労について、東濃純福音キリスト教会の大山先生によると、100年以上前はJR中央線が作られた時にひとつひとつの駅に教会を作るため宣教師が馬車に乗って福音を述べ伝えているところ、石や馬糞を投げられたそうだ。
彼らの祈りと労が豊かに実り、木曽路にリバイバルが起きることを祈ってます。
(ベネディクト)